カーテンを閉め切った部屋の中は真っ暗で、湿った空気には吐息と体液が濃く香る。
夜の底の澱みに、手を伸ばせば触れそうで。
闇が形を成したような塊が。
自分の腰の上で不規則に動くのを、薄く開いた瞼の下から他人事みたいにスザクは見ていた。
光源の無い室内で、癖のある黒髪も、不健康そうにさえ見える青白い肌も、闇に慣れた目にさえただ影としか映らない。
スザクの両手は敷布に落ちたままで力を持たず、性器を包む粘膜の生温かい感触とは裏腹に、冷えた腹の底からは苦い体液が喉を競りあがる、のを飲み込み堪える。
不快なだけだと、そう判断する脳とは別に身体は射精へと向かいたがる。
浅ましい、ヒトのからだ。
理性によって左右されないならそれは、ケモノとなんら変わりない。
一糸纏わぬ姿で上に跨る少女にしたところで、恐らくスザクと変わらない。
見えはせずとも想像に難しくない、温度のない冷えた瞳で見下ろして。
吐き出す吐息のその熱の不快さに身震いし背中を凍らせて。
馬鹿げていると、そう突き放せばよかった。
あるいは、今からでも遅くないのかもしれない。
降ろした腕を振り上げ、真横に薙ぎ払えば。
華奢な少女の肉体はいとも容易く自分の上から、寝台から、転げ落ちるだろう。
指先をわずかに浮かせ、それでも手首はやっぱり敷布から離れない。
なんてくだらないことだろうと、自嘲してもそれでも。
目の前の少女が、濁った瞳で自室のドアを叩いたその時に扉を開けた、これは自身の罪だと、おもう。
罪ばかりを塗り重ねる自分自身に、罰を与えられる日を待ち望んでいる。
スザク、と。
雪解けのあと、綻び始める花の蕾のように暖かな声で、自分を呼んでくれた人。
彼女を守ることの叶わなかった己への、せめてもの罰を。
なんて、自己欺瞞にも程があると知っていながらも。 少女の、自分を見る視線には覚えがあった。 他者の感情に疎いと指摘されることのあるスザクでさえも気付く明確なそれ。 強い度の入った眼鏡のレンズ一枚を隔てた灰色の瞳の中に渦を巻く感情は、好意的なものでは決してなかった。 嫉妬、羨望、憎悪、蔑みに恨み、多分、そんなもの。 自分に向けられるものとしてはあまりにありふれていて、いつの間にか慣れてしまってさえ、居たのだけれど。 勿論最初は違ったのだ。 世界が彼女を失うまでは。 ユフィを。 少女にとっては女神様だったという、あのあんまりにもきれいだったひとを。 多分それまでだって、彼女の視線の中には、嫉妬や羨望だのといったものがきっと含まれてはいたのだ。 ユーフェミア皇女殿下への敬愛や憧憬といったものがあまりに鮮烈で、それ故にその隣に立つスザクに対して向けられたその明るすぎる光によって出来る影が。 照らされる光によって輝きを保っているうちにはさほど目立ちはしなかったそれが。 光がゼロによって奪われてからは影だけが残って。 やり場のないそれはそのままスザクに向けられて。 始まりは澄み切ったものであったそれはいつの間にか濁り、形を変えて。 臓腑に溜まり切った想いを抱えて。 飲み込まれそうなその闇に身を任せて。 そして少女はスザクの部屋のドアを叩いた。 罵られることは覚悟していたけれど、少女はそうはしなかった。 憎悪の炎すら灯らぬ瞳でスザクを見上げ、白々とした照明が部屋の隅々までを照らすスザクの私室で、シュナイゼル殿下の気遣いだろうか、可愛らしい意匠の薄赤い軍服を脱ぎ捨てて。 戸惑い慌てて止めさせようとしたスザクを、その淀んだ瞳ひとつで制止して少女は、ニーナは言った。 「私を抱きなさい、あなたにはその義務があるの」 いつも俯きがちで自信無さ気に話していた姿とは違う、明瞭な口調で、強い意志を示して。 「そ、」 そんなことをして何になると、そう発するつもりの言葉は喉に絡まったように音にならなかった。 外気の寒さに薄く鳥肌を立てた素足が一歩踏み出す。 スザクに向かって。 気圧されたようにスザクは一歩後退る。 続けられる歩みに、次第に追い詰められる。 身一つの、ひ弱な少女を相手にあまりに無力に。 騎士服を着た膝裏が、寝台の縁に当って、そのまま力なく座り込む。 詰め寄るニーナとの間の距離がなくなって。 「あなたにはその義務があるの、」 同じ言葉を繰り返すニーナに対して今スザクが感じているものは、多分、嫌悪だ。 「私に、返して」 ユーフェミア様を。 返して。 止めろと叫びたかった。 彼女の名前など聞きたくなかった。 やさしさを音にしたようなその名前を汚すような真似をするなと。 ユフィと僕は。 君がおもっているようなそんなじゃあなかったと、そう言いたかったのに、喉は張り付いたようで、ただ熱い塊が腹から逆流してきそうなのを堪えて。 皺ひとつ無かった敷布の上に引き倒されるとあとは、金縛りにでもあったかのようにスザクの身体は動かなかった。 上着には触れもせず、ベルトだけを緩め、前立てを寛げ、萎えたままの性器を引きずり出し、冷たい指先に撫で上げられて。 僅かに潤っただけの少女の内部に引き込まれて。 昼間みたいに明るい部屋の中で、苦痛に歪む幼い顔を見上げ、色素の薄い唇から漏れる苦悶の声を聞き流し、脂汗の浮かぶ、日光を知らぬような青白い肌に 視界を覆われて。 生暖かな人肌とは逆に冷えた瞳は開かれたまま、スザクを見下ろす。 水の膜に滲むふたつの灰色の中に、白い騎士服を纏ったままの自分の姿が映り込む。 陸に打ち揚げられた魚のように、なすがままの自分が、同じ、焦点の合わない濁った瞳をして。 ニーナの噛み締められた唇から漏れる苦しげな喘ぎの中に、明確な音が混じる。 途切れ途切れの音を繋ぐ。 ユーフェミア様。 止めろと叫びたかった。 その華奢な体躯を突き飛ばし、頬を張り、汚らわしい真似をするなと唾を吐いてやりたかった。 おまえとは違うと、そう言いたかった。 一緒なんかじゃない、君と僕は、君とユフィは。 罵られるならよかった。 罵詈雑言にはあんまりにも慣れきっていた。 どんな言葉よりも残酷に、ニーナはスザクに刃を向けた。 その手に抱える皇女殿下の全てを寄越せと。 おまえが持つには相応しくないと。 胸の奥の鍵を掛けた箱に閉まった、もう会えないたったひとり大切だったユフィの全てを。 ああ、止めてくれ。 汚らわしい、惨いことを。 なのに身体は他人のもののように動かすことも叶わず、喉はひりつき掠れたような荒い息しか吐き出せない。 生温い汗が滑る皮膚を滑り、投げ出されたスザクの手のひらに落ちた。 気持ち悪い。 気持ちが悪い。 やがて果てたスザクの下肢は白濁と緋に濡れ汚れ、ニーナの髪と同じ黒い睫毛からは涙が伝う。 頬に落ちればそれはもう、汗と変わりはしない。 ユーフェミア様。 ニーナのすこしひび割れた唇の紡ぐ名前を嫌悪する。 違う、こんなのは違う。 それでも明け渡してしまった。 彼女の一部を。 ごめん、ユフィ。 僕は君を汚してしまう。 綺麗な君を。 僕だけの君を。 軽蔑するかい、ユフィ。 照明を背負い、輪郭を光らせる少女は汚れたその肌を拭いもせずにゆるゆると立ち上がる。 床に放り出された衣類を身に着ける気配を感じながらスザクはただ天井を眺めていた。 「また、来ます」 室内に再びの死刑宣告のような言葉を残してドアは閉ざされた。 ユフィ。 白い天井が滲み、眦からは一粒涙が零れ落ちた。 あたしを穴にして |