好きだよスザク。 言うといつも眉をすこしだけ下げて困ったようにスザクは、言ったジノの自分よりも大分高い位置にある顔を見上げて、ありがとうと答える。 好きだよスザク。 靴音だけが高く響く宮殿内の回廊で、手入れの行き届いた庭園の噴水の前で、ナイトメアフレームが整然と並ぶ格納庫で。 朝いちばんに、任務報告書を提出した執務室からの帰りに、ランチに誘うときに、出撃前に。 言うけどスザクの答えはいつも判で押したようにおんなじで、ありがとうってその言葉と、ビスクドールにはめ込まれたよくできたガラス製の偽物みたいな瞳が寄越す温度のない視線に、ジノはいつだって飽きもせずにおんなじ衝動を覚える。 抱きしめて抱きしめて抱きしめてあげたいなあ! そう思うからジノは好きだよスザク、もう一度告げて、自分のよりひとまわりもちいさいだろうかという身体にほとんどのしかかるように腕をまわし、しなやかな筋肉に覆われたその肉体をまるごと抱き込む。
「ジノ?」
呆れたような声音で静かにスザクは問いかけ、わざとらしい溜め息を聞こえよがしに落としたあと、ありがとう、僕もジノのこと好きだよ、そう言ってくれる。 知ってる。 知ってるよ。

スザクのことは最初から好きだった。 御前試合でランスロットと手合わせをしたとき、そのパイロットと初めて視線を交わしたとき、振り下ろした斧剣を受け止められたとき、たぶん好きだな、そう思った。 裏のない単純な好意だったけれど、その時点でそれは既に予感ではなかったのだ。 スザクは有名人だったから(そしてそれは多くの場合悪い意味に於いてだ)スザクのことは多分ジノのほうが先に知っていた。 テレビモニターの中の虐殺皇女の専任騎士様、はいざ目の前にするとテレビやナイトメアのモニターで見た映像以上に華奢で幼い。 人種の違いというのもあるのだろうが、ブリタニア人の中でも体格のいい部類に入るジノからすると、アーニャと変わらない、まるで子供のように見えた。 その子供のような体躯の中に、まるで不釣り合いなほど静かな瞳がぽかりと浮かんでいる。 ガラス玉みたいに、透明な。 ほとんど無意識に手を伸ばす。 肩を組むというよりも、体重をかけてもたれかかるようすると、その子はまるで潰れてしまいそうで、ちょっとだけ焦ったような声を出した。
「ねえ君、スザク、君のこと好きだなあ」
軽々しく口にするなんてもったいない、なんてかわいく怒ってみせる御婦人もいたけれど、多分いままでそれは簡単なものだったんだ。 頭で考えるよりも先に、言葉は唇から吐き出される。 温かな吐息といっしょに。 好きなものなんていっぱいある。 まず最初に綺麗で可愛い女の子が好きだ。 ふわふわ柔らかくっていいにおいがいして、女の子っていうのはまったく世界の宝物だ。 それからヴァンベルグ家の料理人が作る素朴なヨークシャー・プディングが好きだ。 歯磨き粉みたいなミントの中にチョコチップのたっぷり入ったアイスクリームが好きだし、ビーチで日光を全身に浴びることも好きだし、草臥れて帰宅したときに糊のきいたシーツに倒れ込むことも好きだし、愛馬で遠乗りに出ることも、スパークリングワインを開けるときに鳴るポンという小気味良い音も好きだ。 それから勿論トリスタンに乗ることが好きだ。 戦場に出ることが好き、と言うのは少しばかり不謹慎かもしれないけれど、戦うことはやっぱり好きだ。 生きること、死ぬこと、人殺しになること、狭間の快楽に身を置くこと。 父が好きだ。 母が好きだ。 兄たちや、使用人、友人、知人、縁ある人々が好きだ。 好きだから好きって言うんだ、それだけなんだ。 言葉の価値を過信するわけじゃあないけれど、言わなきゃわからないことっていうのは案外多いものなんだ。 好きだから、好きって言うんだ。 何気なく見上げた夜空の中で煌めく星みたいに、身体を動かしてうすく汗をかいたところに吹き抜けるやさしい風みたいに。
「好きだなあ、うん、好きだよ」
すぐ側にある小作りで幼さを濃く残した顔に向かって。 言われたスザクはわずかに目を見張りひと呼吸置いてから、はあ、そうですか、ありがとうございますと固い声でそう答え、その色の変わらない瞳にたぶんジノは理解した。

スザクの横顔を見つめる。 柔らかそうなチョコレート色の髪で覆われた頭部、跳ねた毛先から覗く象牙色の肌。 柔らかく盛り上がる鼻は東洋人らしくあまり高くなく、固く一文字に引き結ばれているのとは反対に柔らかそうな唇、という彼を形作る部品は、言ったらきっと気を悪くされるんだろうけれど、まるで女の子みたいだ、と思う。 そうじゃなければまるでちいさなこどもみたいだ。

ちいさなこども。 行き先のない迷子みたいな。

ソファに座って相変わらず携帯をいじっているアーニャに言ってみる。
「好きだよアーニャ」
アーニャは携帯のディスプレイに落としたままの視線を上げもしないで、そう、と答える。
「素っ気ないなあ」
沈黙は数秒、の後、アーニャはぱたんと軽い音を立てて携帯を閉じる。 見るともなしにそれを視線で追っていると、わたしも、という声が聞こえた。 誰と考えるまでもない、アーニャの声で。
「うん?」
「わたしも、ジノのことは好き、ジノと組むと仕事もスムーズだし」
「そう!ありがと」
満面の笑みで答えると、アーニャは閉じたばかりの携帯をまた開き、ぴろりんと軽薄な音を立ててその笑顔を機械に記録させた。 今度は携帯を閉じないままで顔を上げ、ジノに視線を合わせる。
「わかってると、思う」
わたしだってわかる、だから。 アーニャはまた視線を携帯のディスプレイに落とし、未発達な細い桜色の指で機械の小さなボタンを操作し始める。 わかってる。 アーニャだって。 ジノだって。

好きだよスザク。 そう言い続ける。 二度目からスザクは、硬い表情を見せることはなくなった。 かわりに困ったように表情筋をすこしだけ緩める。 その顔は、泣き出す少し前の顔みたいにも、見える。 もっとも、ジノはスザクの泣いたところなんて見たことはないのだけれども。 ありがとう、とスザクは言う。 ありがとう、僕も君のこと好きだよ、と言う。 困ったような顔で、宥めるような声音で。 そんなものは本当は必要じゃないんだと、拒絶を内包して。 感謝と好意を示すその言葉はたぶん彼の嘘偽りのない本心で、だからこそときどきジノは叫び出したくなる。 違うよスザク、そんな言葉が聞きたいわけじゃあないんだ。 それを飲み込み、ジノは同じ言葉を繰り返す。 好きだよスザク。 彼が言わない言葉の代わりに何度だって言う。 好きだよスザク。 君が好きだよ。



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