アルミパックに入ったゼリー飲料を啜っているソーマ・ピーリス少尉をセルゲイ・スミルノフ中佐が見つけたのは、ソレスタルビーイングが武力介入を宣言してからめっきり慌しくなってしまい約一月ぶりの休暇をどうにか取れたもののこれといってやることもなく普段通り朝食前にトレーニングルームで軽く汗を流しシャワーでさっぱりした身体に栄養を入れようと食堂に足を踏み入れた時だった。 同じく休日であるはずのソーマはトレーニングウェア姿のセルゲイとは違い朝からきっちりと軍服を着込み、テーブルの上に3つ並べたアルミパックのゼリー飲料を順番に無表情に啜っていた。 暗い宇宙に浮かぶステーション内や戦地での待機中ならばまだしも、ここは地上で本部にもほど近い宿舎の食堂でおまけに彼女はまだ育ち盛りの若者だ。 朝からこんな食事ではいけないだろう、そう考えてセルゲイはソーマに近付き声を掛ける。
「少尉、ここに座っても構わないだろうか」
立ち上がり敬礼しようとしたソーマを手で制し、座っても構わないかね、と繰り返す。
「構いません、私はもう失礼いたしますから」
ゼリー飲料と一緒にテーブルに置かれていたピルケースから色取り取りのカプセルと錠剤を取り出し、水も無しでそれを流し込もうとするソーマに、まあ少し話をしないか少尉、と言ってから拒まれはしないだろうか、とすこし考えたがそれは取り越し苦労だったようでソーマはわかりました、と言って椅子に座ったままセルゲイを見ている。
「悪いがすこし待っていてくれないか、私も朝食がまだなのだ」
構いません、と答えたソーマを残し、カウンターに行く。 ベーグル2つとグリーンサラダにボルシチ(ロシア系が多い人革連施設には欠かせないメニューだ)とヨーグルトと野菜ジュースがセットになったAランチを頼み、しばらく考えてから追加でプリンとチョコレートムースを1つづつ付け加えた。 プラスティックトレイに乗せたそれを持って待たせているソーマのところに戻る。 ソーマは先ほどセルゲイが席を外した時と同じ姿勢のまま何もない宙を睨んでいる。
「待たせてしまってすまんな」
「いえ、それほどではありません」
無表情のままソーマは答える。 トレイを置いてソーマの正面の席に着き、プラスティックのカップに入ったプリンとチョコレートムースをトレイから出しソーマの前に並べる。
「少尉、個人の嗜好にとやかく言うつもりはないのだが、先ほどのが君の食事かね」
「はい、栄養のバランスを考えられていますし、研究所での食事はあのようなものでしたのでそれが適切なのだと思っています」
「しかしだな、」
一旦言葉を止めて考える。 口喧しいことを言うのは気が進まないが、軍人ならば体調の管理は基本の基本である。 しかし相手はまだ歳若い乙女でもある。 身体的特徴を口にするのはなかなかにデリケートな問題である。 それでも意を決しセルゲイは言葉を選びながら口にする。
「気を悪くしないで欲しいのだが、少尉は年齢の割には発育が未熟なようだが、やはりしっかりとした食事は大事なのではないだろうか、おかしな意味ではないのだが」
表情の乏しいソーマの感情の読みにくい瞳がセルゲイを見つめている。
「研究所から食事制限などがあるのなら仕方もないが、そうでないならばゼリー飲料や携帯食料ばかりでは味気ないだろう、もっと普通の食事を摂ってはどうかね」
そこまで言ってセルゲイは先程並べたプリンとチョコレートムースに、2つ持ってきたスプーンのうちの1つを添えてソーマに示す。
「食事とまでは言わずとも、こういったものは食べないのかね、若い女性はこういうものが好きなものだろう」
ソーマはまず差し出されたプリンを見て、それからチョコレートムースを見て、セルゲイの顔を見て、またプリンとチョコレートムースを交互に見た。
「甘いものは嫌いかね」
すこし心配になる。 若い女性の全てが甘い菓子を好むとはもちろん限らない。
「嫌いなわけではありません、脳のエネルギー源となるのはブドウ糖だけですし、糖分のある食品はすぐ吸収して脳へ行くので朝食には向いているといいます、特にチョコレートに含まれるテオブロミンやカフェインは大脳皮質を覚醒することで集中力、記憶力、思考力を高める効果をもつと聞いています」
ソーマは真顔のままで言った。 そういうことではないのだが、とセルゲイが言う前にソーマがもう一度口を開いた。
「頂けばよろしいのでしょうか」
セルゲイは無意識に力の篭っていた眉間を緩め、そっと息を吐いた。
「少尉が嫌でなければ、是非食べてもらいたいのだ」
わかりました、といってソーマは差し出されたスプーンを取った。 透明なプラスティックケースに詰められた卵色のプリンを手に取るのを見て、そこでようやくセルゲイも自分のベーグルを取り上げる。 ぺり、と上部に貼られたフィルムの蓋が剥がされる音がした。 ベーグルをくわえながらソーマを見やる。 スプーンに掬われた卵色のかけらがソーマの色素の薄い唇の中に消えていくのを見る。 ほとんど反芻されずにそれは飲み込まれ、すぐにまたプラスティック容器からひとくち分掬い上げられる。 ベーグルを噛み千切りながらその様を観察していたセルゲイは、自身のその不躾な視線は失礼なものだと気付き意識をトレイの中の集中させる。 あっという間にプリンを空にしたソーマはチョコレートムースに手を伸ばしそのフィルムもぺりりと剥がす。 セルゲイがひとつめのベーグルを半分も食べきらないうちにそれはあっという間に空になる。
「美味しかったかね少尉」
ソーマはすこし考えて答える。
「卵とカカオの味がしました」
セルゲイは一瞬言葉に詰まるが、そうか、と返した。 ところで少尉、とさらに言葉を続ける。
「今日はオフだろう、何も軍服を着ている必要はないのではないか」
「軍服しか持っていませんので」
セルゲイはソーマが身に纏っている軍服に視線を走らせる。 無骨な暗緑色の、それ。 セルゲイは考える。 できるだけ短い時間で。 そして言葉に出す。
「少尉は今日は予定は」
「特にすることがなければ自室で待機をするようにと言われています」
「少尉さえ嫌でなければ、なのだが」
「はい」
「私と服を買いに行くというのはどうだろうか、これからまた街に出ることもあるだろう、軍服しか持っていないというのでは具合が悪いこともあるだろう」
感情の起伏に乏しいソーマの表情がわずかに動いたのがセルゲイにはわかった。 それは驚きと困惑だ。 それからほんのすこしの喜びが見える、というのはセルゲイの期待でしかないのだろうか。 そうでなければいいのだが、と思いながらセルゲイはソーマの返事を待つ。 わずかに見開かれたソーマの瞳はすぐにもとの落ち着いた色を取り戻し、それがソーマの年齢に不釣合いな気がして、セルゲイはちいさな胸の痛みを覚える。 まだ歳若い、乙女なのだ。 それが着飾ることも知らないというのはあまりにも可哀相ではないだろうか。 言葉を探しているらしいソーマの様子に、セルゲイは先に口を開く。
「無理強いをするつもりはないのだが、私のほうがそうしたいのだ、勿論費用のほうは私が持とう、少尉の転任祝いということでどうだね」
表情の変わらないソーマはそれでも、中佐がそう仰るのなら、と答えた。
「お供いたします」
「そうかね、ありがとう」
セルゲイは笑顔を作る。 顔に火傷を負ってから表情筋を自由に動かすことが少しばかり苦手になったが、それでもこういう場合は無理にでも笑うものだ。 私の食事が終わるまで待ってもらえるかね、とセルゲイはグリーンサラダの中のオニオンスライスにフォークを突き立てながら言うと、ソーマははい、と頷いた。 街に出てソーマの服を買うために、まず今の軍服以外の服を着せて外に出してやらねばならない。 同じ背格好の兵士がいただろうかと部下達の姿を思い浮かべながらセルゲイはオニオンスライスを咀嚼する。 今日は長い1日になるかもしれない。


パパズオーライ