売女が、というが声がしたので、パトリック・コーラサワーがその方向を振り返ると、名前も知らない男がそそくさと顔を伏せるのが見えた。 言ってろよタマ無し野郎、と悪態吐くのもめんどくさい。 すぐに進行方向に向き直り、歩を進める。 パイロットスーツの背中にそろそろと上げられたのであろう視線が刺さるのを感じる。 嫉妬と羨望と軽蔑とそしてわずかな情欲の混じったそれを。 鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい。 自然足音は荒くなる。 鬱陶しい。

初めて男と寝たのは18のときだった。 相手は軍のモビルスーツパイロット選考官だった。 志願者の全てがモビルスーツパイロットになれるわけではない。 訓練を経た後の選考にってそれは決められる。 模擬戦とシミュレーションの成績はそこそこ優秀だったが、対照的に戦術情報処理はひどいものだった。 思慮が浅く短絡的で感情的、メンタル面での弱さが目立つ。 貴重な機体を預けるには足らない。 故にパイロットには不適切。 それがパトリックに下された上層部の判断だった。 腸が煮えくり返るほど悔しかった。 何のために訓練をしてきたのだ。 悔しかった。 悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて仕方なかった。 実力ではどう考えたって俺のほうが上のはずだ。 精神面など何の意味があるのだ。 自分には技術がある、目標を破壊できる、それが全てなのだ、それ以外は必要ないのだ。 選考委員をしていた確か階級は少佐だったはずの上官に、訓練棟にある私室に呼び出されたのはその翌日だった。 やり場のない苛立ちを周囲にぶつけ、訓練生に与えられた二名一室の部屋を強盗にでも押し入られたかのように荒しつくし、殴った壁には穴を開け、同室の者はどこか別の部屋へ逃げてしまい、ひとりきりの暗い部屋の中で蹲り爪を噛み続けていたときだった。 しつこく鳴り続ける壁に取り付けられていた通信機のコールを無視し続けようかともおもったが、あまりに喧しく鳴り響くそれを叩き壊すような勢いで通信ボタンを押した。 聞こえてきた名前には覚えがなかったが、パイロット選考の担当官だというので、また新たな黒いものが胃の腑のあたりにどろりと生まれるのを感じた。 その部屋は訓練棟で教務に就くものに与えられる個人用の事務室だった。 机と書架、仮眠用の簡素な長椅子のあるその部屋で上官は苛つきと不機嫌を隠そうともしないパトリックに足を開けと言った。 足を開け、悪いようにはしない。 何だ、何て簡単なことだ。 軍人にしては出すぎた腹と濁った目のその上官の前でパトリックは身にまとっていた軍服のズボンを乱暴に脱ぎ捨てた。 その布の塊が床に落ちた音がやけに大きく響いた。 纏わりつく視線の不快感。 外気に晒されて鳥肌の立つ皮膚。 脂ぎった手のひらが近付く。 中年男の体臭。 体の内側で何かの腐っていくような匂い。 笑い出したいような気分だった。 簡単なことだ。 何て簡単な。

男に尻を差し出してパイロットになったのだと陰口を叩かれているのは知っていた。 面と向かって言ってくるものこそいなかったが、俺のも銜えてみろよなどと下世話な言葉を掛けてくるものが増えた。 従順な振りをしてその足の間にひざまづき思い切り歯を立ててやった。 噛み千切ってやるその前にその男はパトリックを殴り股間から血を垂れ流したまま何か喚いていた。 口の中の血を唾液と一緒に吐き出した。 ひどく不味かった。 敗者の言葉に耳を傾ける必要はなかった。 勝ったのは自分なのだ。 コクピットから見る景色。 これだけが自分の欲しかったものなのだ。 利用できる相手なら寝た。 視線に混じる情欲を嗅ぎ分けることにいつの間にか慣れてしまっていた。 髪で隠されたうなじに、パイロットスーツを身に着けた腰に、注がれるその意味を。 触れられるその手のざらざらした感触にも、這い回る舌の爬虫類じみた動きにも、貫かれるその痛みにも、とうに慣れてしまった。 簡単なことだ。 こんな簡単なことで手に入る。 高みへ上り詰めることが出来る。 俺が勝つのだ。 何よりも、誰よりも。

呼び出された部屋には軍のお偉方の顔がずらりと揃っていた。 無表情でパトリックを見ているその顔が、寝台の中ではどんな風に歪むのか知っている。 豚のように鼻を鳴らし腐った息を吐き無様に腰を振りながら。 新型のテストパイロットを務めてもらうことになった、と上官が告げた。 当然だ、自分以外の誰が乗るというのだ。 あのイナクトという名の新型に。 出来るだろうね、と無表情な顔のうちのどれかが言った。 当たり前だろう。 パトリックは笑った。


野良犬のワルツ